【GWT】夢の中
(飛ぶのも、うまくなったな)
ビルの屋上から、工事現場へ。
ふわりと飛び降りた時、そんなことを言われた。
「それなりにはね」
招き猫の形をしたエーテル結晶体を砕きながら、そう返す。大量に懐に入ってくる冥貨が嬉しい。こんなにおかしなことになった世界の中でも、貨幣は大事だ。天下の回りものは、生死の境も関係なく回り続けているらしい。
霊視をして、周囲を探る。景色の輪郭が青く染まり、近くのコンビニにいる猫又や、あちこちに浮かんでいる幽霊たちや、通りの向こうのマレビトの姿を浮かび上がらせる。
暁人は左手をかざし、傍らのビルの屋上に天狗を呼び出す。ほんの一日前までは実在さえ信じていなかった天狗を、今では使い魔のように召喚できるとは。本当に不可思議なことだらけで、けれど紛れもない現実で、暁人が当たり前に持っていた常識というものが目の前の光景で上書きされていく。
ビルの屋上に降り立ち、さらに柵を乗り越え、別のビルの屋上へ。
つい先ほどまで、またあの雨が降っていた。生ぬるく湿った空気が全身を包む。浮遊感と、風を切る涼しさ。
そうだ。もう何度こうして、空を飛んだか。
落下死なんて、今の暁人には関係ない言葉だ。
(暁人)
同じ体に宿った相棒が呼ぶ。見れば、一本隣の通りに、青白く発光する箱が三つ浮かんでいる。座敷牢だ。体を奪われた人々が囚われている檻。決まった合図も無く現れる座敷牢は、放っておくとマレビトたちに吸収されてしまう。
マレビトにとって、人の魂とはよほど魅力的なものらしい。座敷牢を発見したマレビトは、暁人への敵意よりも座敷牢の吸収を優先する。霊体となった人々を救出すべく街を回り始めて、これでもう三度目だ。間断なく座敷牢を防衛し、囚われていた人々を形代へ避難させている。
執拗に座敷牢を狙って現れるマレビトたちを蹴散らし、最後に残った荒法師の核を直接鷲掴み、力任せに握りつぶした。通りに静寂が戻ると、パキンと音がして座敷牢が壊れる。
(余裕じゃねぇか)
愉快そうにKKが言った。
「まぁね」
返事をしながら、ちょこっとだけ、唇をむずむずさせる。
KK。暁人の体に入り込み、不思議な霊能力を与え、この異常事態を打開すべく共に歩を進めている男。
この男は、なんというか、少し悔しい気持ちも添えて、かなりの褒め上手だと暁人は思う。
最初に褒められたのは、今と同じく座敷牢の救出にあたった時だった。KKの力がまだ体に馴染まず、マレビトの一体にも苦戦するような時分だ。相手取ったのは…今なら名前もわかる、喜奇童子だった。
彼女らの攻撃を完璧に防ぎ、攻撃し、殆ど十全に近い状態で座敷牢を守り抜いた。
うまくやれた。そう思った瞬間に、KKが言葉を発したのだ。
(いい動きだったぞ)
一瞬、何を言われたのかわからなかった。そしてこの男が自分を褒めたと理解した時、場違いにも嬉しさを感じてしまったのだ。
勝手に体に入ってきた挙句絞め殺そうとするような危険人物。ろくに説明もしないまま一方的にものを言ってきて、不愛想で、暁人に何をさせようとしているのかもわからない、信用ならない男。だのに。
暁人がうまくできた。だから、この男は褒めた。当たり前のように。
そこで、暁人の認識はほんの少し変わった。このKKという男は、人を手放しで褒めることができる。たとえ相性の良くないクソガキだろうと褒める。自分がすごいと思えば、関係性を問わず声に出して称賛する。それは、ひとつの美点だ。
何もかも横暴で自分勝手だと思っていた。24万人が消えたと語った時も、自分には関係無いなどと一蹴していたくらいだ。独りよがりの傲岸不遜な男だと。嫌気ばかり差していたのに。
それだけではないのかもしれない。そうでは、ないのかもしれない。
KKという男は。
そして今。
二人の見据える方向がぴたりと重なり、同じ光景を見て同じ怒りを抱き、KKの魂と力は、暁人の魂と体に心地よく浸透しつつある。エーテルの精度と威力はあの時とは比べ物にならない。KKの言う通り、グライドの滞空時間も伸びた。
KKは本当によく暁人を褒める。何気ない会話が増えた。ビール派ということも知った。互いへの抵抗は氷解し、今や彼との会話は暁人の心を和ませている。
KKという男は、鼻持ちならない冷血漢ではなかった。
真っ当に怒り、焦り、驚き、喜ぶ、等身大の人間であった。
あんなに訳の分からない出会い方をしてしまったから、そんな当然のことがすぐにはわからなかったのだ。今ならもう、わかる。
何と呼んだことだろう、二人のこの状態を、この間柄を。
前者を般若面の男は一心同体と言った。後者をKKは相棒と呼んだ。
一心同体で、相棒。
なんとも不可思議だが、これが今の暁人とKKだ。
街を駆け、マレビトを倒していく毎に、KKとのシンクロは深まり、暁人は強くなっていく。霧でろくに身動きも取れなかった初めの頃が嘘のようだ。
霧が晴れたこの街のどこにだって、暁人は行ける。
世界の危機なのだ。妹は攫われ、24万人もの人々が死に瀕している。けれど、暁人の心の奥底に湧き始めたのは、確かに昂揚だった。
空を飛べる。化け物をなんなく倒せる。頼りになる相棒が、誰よりもすぐ近くにいる。
それはまるで夢の中にいるような、万能感さえ抱かせた。
「あいつも焦ってそうだ」
KKが意地悪そうに言った。幽霊の転送数が10万人を超えた時、エドからは呆れ混じりの称賛をもらった。けれどまだまだ。消えた人数の半分にも達していない。
遠くを見やれば、東京タワーは黒い渦に呑まれ、不気味な巨人たちが悪夢のように渦を囲っている。
事態は変化した。暁人とKKの拳は般若面の男に届かず、『儀式』とやらは進んでいる。だが諦めない。まだ手遅れではない。たとえこの街に残されたのが暁人とKKの二人ぽっちでも、歩みは止めない。
いや、行動できるのが二人だけというだけで、仲間は確かにいるのだ。霊体を活用して情報を集めて回っている凛子と、霧の外で人々を復活させているエド。KKたちの『チーム』は、まだ壊れてはいない。そこに今は、暁人もいる。
自分もチームだ。
そんな自負を抱いた。KKの相棒であることの次に、彼らの仲間であること。
…仲間として、絵梨佳というあの子の肉体を消した、KKの心情を芯から理解してやることはできなくても。
凛子が遺したバイクに乗り、霧を抜けることが次の目標だ。そのためのガソリンとタービンホイル、冥界の香油を入手するため、また街を飛ぶ。
ビルの屋上に身を潜め、眼下の道路へ弓を構えた。
喜奇童子が二体、バスの上に餓鬼童子が一体、穢れの木のすぐ側に髪姫が一体。
順に射る。強力なマレビトである髪姫がいるなら乱戦は避けたい。彼らの捕捉範囲外から、着実に数を減らす。矢を受けた髪姫は恐ろしい口を剥き出しにして射手を探すが、とうとう暁人たちを捉えることはなく、その場で射られ続け消滅した。
(こそこそやるのはオレより上手いな)
「それ褒めてるの貶してるの?」
安全になった道路に降り立って、目当ての車へ手を伸ばす。バイクを修理するため、ガソリンとタービンホイル、そして冥界の香油とやらが必要なのだ。
残念ながらタービンホイルは使えなかったが、ガソリンは入手した。さあ次へ、と思ったところで。
街の照明が消えた。
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