【GWT】探索中
ビルの屋上から、閑散とした高速道路を見下ろす。
運転手が消え失せ停止した車の周囲で、二体の喜奇童子が気ままにスキップをしている。身を屈め、そっと両手を構えると、体内の火のエーテルが凝縮し密度の高い火球が生まれる。それを、眼下の道路へ無造作に放り投げた。
爆炎。
喜奇童子らの体が吹き飛び、砕け、心臓にも値する『コア』の輝きが漏れる。
すかさず飛び降り、手の構えを変え今度は水のエーテルを練る。よろよろと立ち上がった彼女らに反撃も許さず、至近距離から水の刃を食らわせた。
二体の喜奇童子は声も無く硬直する。体が砕けてしまえば、筋肉も肋骨も持たない彼女らにコアを守る術はない。暁人の左手から鞭のように伸びたワイヤーが、露出したコアに絡みつき、バキリと音を立てて破壊した。
一息つく間もなく、ザザ、と耳の奥でノイズが走る。
振り向けば、車の陰からさらに二体のマレビトが現れた。彼女らの名前は、そう――因率、だ。
(準備ができたぜ、相棒!)
KKが高らかに吠えた。
○
この霧に覆われた渋谷で、どれくらいの時間が過ぎたか。
実のところ、目覚めてからまだ僅かも経っていないのかもしれない。けれどもうずっとこの街で駆け回っている気がするのは、時間の区別がつかないからだろう。空には朱い朧月ばかりが眩しく浮かび、星は見えない。
鳥居を浄化するため、霧ヶ丘団地の屋上に上ったところ、虚牢の群れに見つかって集中砲火を食らった。なんとか殲滅し、鳥居の側を張っていた焔女も手早く処理する。
暁人にも少しずつ、このマレビトたちのことがわかってきた。
どういう動きで接近してくるか。どういう攻撃をしてくるか。どのエーテルをどれだけ打ち込めば動きを止められるか。状況に応じて、どんな方法を用いれば効率的に殲滅できるか。
もちろん、負傷も多い。だが、多少の余裕を持てるようになった。
青く光る鳥居の前に立ち、両手をかざして力を込める。すると、鳥居の内側が水面のように波打ち、波紋を広げていく。ひとしきり力を行き渡らせて、仕上げに強く印を結んだ。瞬間、青い光と波紋は消え、見慣れた姿に戻った鳥居が勢いよく霧を吸いこんでいく。
これでまた、行ける場所が増えた。
屋上から見渡せば、霧が晴れた分、見える範囲が広くなったのがわかる。そして、あちこちに浮かぶ幽霊たちの姿も視界に映り込んでくる。
「もっと救わなきゃ」
呟いた。
24万人。24万人だ。
当たり前だ。ここは日本の中枢都市だ。それだけの人々が生活していたのだ。その街ひとつ分の命が、暁人にかかっている。ようやくその実感が湧いてきた。一人だって見落とす訳にはいかない。
決意を新たにしたところで、くぅ、と小さく腹が鳴った。
「……」
(……フッ)
無言で流そうと思ったのに、この中年おやじときたら、鼻で笑った。腹立つ。しかしついさっき回復のためおにぎりを頬張ったばかりなのに、少々気恥ずかしい。
(ま、若いうちは食えるだけ食っとけよ)
年上風吹かせてそんなことまで言う。おじさんというのはどうして妙に説教臭いのか。
(こんな時じゃあ、飯くらいしか楽しみもないだろ)
続けてため息混じりにKKは言った。労う言葉に、ふと思い出した。
「…KKは月見そば、好きなの?」
(あ?)
「言ってただろ、月のデータを取り終えた時。月見そばの卵に見えるってさ」
(あー。…まあ、それなりには食うな。駅の近くにあるだろ、樹海そば)
「あるね。入ったことはないけど」
(行きつけだ。うまいし、何より早く食える)
早さを重視するとは、気忙しいことだ。そういえばこの男は警察官だった。役職までは知らないが、確かに時間に余裕のありそうな仕事ではない。飯くらいしか楽しみもない、は、この男自身の過去の実感から出た言葉ではないか。
「…一度、アジトに戻って休憩するよ」
(おお、そうしろ)
自宅に帰れない今、暁人の拠点となっているのはKKのアジトだ。何があるわけでもないが、少なくとも敵はいない。雨に濡れることもなく、落ち着いて食事や仮眠が取れる。今のこの街では大きなことだ。
ひたすら鳥居を浄化し、先へ先へと動くうち随分と北へ進んでいた。次に目指すべきは霧ヶ丘だが、戻ってみることで得られるものもある。
ついでにあちこちの猫又に納品して、冥貨に換えていく。…こんな異常事態の中でも、物を取引する場があるというのは、それだけで生活感が出る。猫又たちにとってみればこんな商機はないだろう。暁人の他に客がいるのか甚だ疑問だが。
気付けば懐もだいぶ温まっていたので、KKの調査資料を購入する。どうして資料が流出しているのか。気にはなるが、気にしても仕方ない。この世界において参考になる情報ではあるので、冥貨が貯まれば優先的に買うようにしている。
『天狗の異常発生』。
今までの資料と同じく、イラスト付き。適当なビル群に、独特なタッチの天狗。真ん中の『429』が、また。
「………」
(おい、なんだよ)
「なんでも?」
体が同じでよかった。にやついても見られることはない。
アジトに戻り、塩神を腹に収めると、空腹もだいぶ落ち着いた。ソファで一息つきつつ、今までのことを思い返す。
少しずつ得られていく情報の中で、このアジトにいたであろう面々の姿が徐々に像を結んでいく。
KK。エド。デイル。凛子。絵梨佳。
そして、今も和室にある写真立ての中で、消されているのがあの般若面の男。
少なくともこの六人が事態に関わっていた。霊や魂について科学的に追究し、怪奇現象に対処するチームとして。
チームの設立目的、経緯、活動、般若面の男が離反した理由、それ以降の動き。暁人は何も知らない。逐一説明してもらわないことには理解もできないだろう。だがそんな暇はない。推察するしか今はできない。
彼らにも人間関係があった。だがどうにもそれはか細く、また危ういものであった気がしてならない。
例えば六つのビー玉だ。袋で包めばまとまるが、取り出せばすぐに転がり離れていく。元からそのようなものだったのではないか。
――ただの想像だ。他人の関係を訳知り顔で語るべきじゃない。
大体、暁人はまだKKと凛子の二人としか面識がないのだ。依然、埒外の人間であることに変わりない。それを歯がゆく思い始めている。
妹を取り戻すのは最優先事項だ。一瞬たりとも忘れていない。
だが人々の魂を回収することや、KKたちのことが、少しずつ暁人に絡みつき、別の目的や思考を与えている。目の前に現れる全てを取りこぼすまいと、視界が広がるような、方々へ根を巡らそうとするような、そんな感覚があった。
(おい、寝てんのか?)
「寝てないよ」
いつの間にか閉じていた瞼を開く。
右手には靄が渦巻き、掌の傷は奥に光を内包して、KKの魂を覗かせる。
(のんびりしていいとは言ってねぇぞ)
「わかってる」
立ち上がる。また常夜の渋谷に戻るのだ。
霧を晴らしたことで、また探索できる地域が広がった。暁人の知らないところで、霊にされた人々は今も苦悶している。行かなければ。
ここを出たら、また新しい何かを見つけ、知り、糧とするのだろう。
再びここに戻った時は、何を考えるのだろう。
ぐっと右手を握る。体力は万全。エーテルも満ちている。矢は…買わなければ。札はまだ慣れないので数枚だけ。
確認して、玄関から外へ踏み出した。
○
相棒。
呼ばれた瞬間、言葉が胸を打った。
自分でも意外なほど、嬉しかった。
ひとつ、またひとつ、この男を知っていく。どんな考え方をしてどんな行動をするのか。何度も声を聞いて、返事をして、自分の中のKKという男が形作られていく。
KKの調査資料を優先的に手に入れるのは、ただ役に立つからだけではない。
この男のことが知りたいからだ。
嬉しさは信頼へと変わった。普通なら何度も反芻して、ゆっくりゆっくり変化するものだったろう。
しかし今は戦闘中だ。噛み締めている暇はない。だから暁人は、すぐにその感情を片付けた。
自分と彼は相棒であると。そんな自負に換えた。
その自負を以て、暁人は叫び返した。
「了解!」
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