【まおすみ】隠しエリア『???』 (6)

6,古の大火山《クアリエ・アジ=ダハーカ》



「あつい…」

 姫は呻いた。喉が渇いてひりひりする。

 充満する熱気が、圧迫するように体を包んでいて、息がしづらい。いくら忙しく呼吸をしても、酸素の半分も肺に届いていないような気がした。

 顎からぽたぽたと汗が落ちる。全身はもう汗でびしょ濡れだった。パジャマの下に着ているキャミソールワンピースもじっとり湿っている。ふわふわした袖やひらひらしたスカートが、歩く度にべたつく肌にくっついて、いつもはお気に入りの筈なのに今ばかりは鬱陶しかった。

「あつい………」

 もう一度呻く。呻いたって何にもならないが、呻かないとやってられないのだ。

 姫の蚊のような声を聞き取った魔物がいれば、すぐにでも姫を涼しい場所に連れて行って甲斐甲斐しく水を飲ませたことだろう。今や姫は魔王城の宝なのだから。

 けれどここには誰もおらず、したがって早急に姫を救助してくれる者もいなかった。辺りにはただ濛々と水蒸気がたちこめ、荒涼とした岩だらけの景色に、ぼこぼことマグマの茹だる音が聞こえるだけだった。

「う…」

 ぽきりと、杖代わりにしていた枯れ枝が折れた。支えを失った姫は、どさりと力なく倒れる。地面は黒く硬い溶岩。粗い表面が頬を擦った。

(なんで……こんなことに…)

 姫は恨めしく思う。どうしてこうなったのか。自分はただいつも通り、日課の散歩に出ていただけなのに。



 魔王の居城であると同時に、それ自体がダンジョンであり要塞でもある魔王城には、そこかしこにマグマが流れている。

 高温のマグマは、訪れた冒険者の行く手を遮るに充分すぎる障害だ。圧倒的な熱はパーティを疲弊させ、触れるだけでも大火傷でごっそりHPを削られる。落ちれば勿論即死。ダンジョンの構成要素としては、まさに切り札だ。

 難点は、石すら溶かす高温ゆえに扱いが難しいこと。うっかり外部エリアに流出してしまえば環境破壊待ったなし。堰き止めるのも取り除くのも大変だ。果てに準備不足などで従事者がマグマに曝されてしまえば、目も当てられない大事故になる。

 けれど魔族側には、そのマグマの熱にすら適応した炎魔物たちがいる。だから人間にとっては非常に危険なマグマを城内設備として使うことができ、マグマの近くで(あくまで魔物基準ではあるが)安全に生活することさえできるのだ。

 そんなマグマの滾る城を、自由に闊歩する人間は姫くらいだ。

 城に誘拐されて間もない頃、早々にマグマに落っこちて死を経験した姫は、その時にマグマへの恐怖心も一緒に落っことしてしまったらしい。

 マグマの池の上でハンモックを引いて寝ようとするし、手すりの上で側転してマグマに落ちること数十回。階段の手すりを滑り台にしてコケて大怪我する中学生みたいなものだが、あまりに行動が読めなくて魔物たちは気が気でない。

 「一瞬で死ぬと痛くない」とは当の姫の言葉だ。死んで墓になったら魔物たちが引き上げてくれるし、蘇生もばっちり。恐れ知らずになるのも道理……なのかもしれない。

 いやそれでも、普通は「危険な物」を恐れるのが人間の……というより生き物全ての本能ではないか。それを捨て去ってしまうのはどうなのか。死んでも生き返れるから大丈夫、何度死んでも良いという思考は、倫理的に危なくはないか――。姫が来てからこの方、魔物たちの間で頻繁に上がるようになった議題である。

 ともかくそうして、死んでも蘇生できるという大いなる安心感のもと、姫は着々と城内の行動エリアを広げていた。

 けれど姫は人間である。その確固たる事実は変わらない。

 いくら総ステータスが異常に高くても、最強の魔導書をお供にしていても、無慈悲さと残虐さで恐れられていても、人間である以上人間の域を外れることはない。その柔らかい体はどこまでも人間のうら若き女性である。

 マグマの熱に耐えうる皮膚も、酷暑と乾燥に対する体機能も持っていない。

 つまり極限状態においては、姫の耐久力は『はじまりシティ』の村娘と何ら変わりないということだ。

 そんな姫が、うっかり城内のマグマの源泉、炎エリア『古の大火山』からの供給口に迷い込んでしまったのは、致命的な過ちだった。

(あつい…)

 もはや声さえ出ない。体が重くて仕方ない。頭もくらくらする。吐き気もする。

 夏日に炎天下で運動した経験が無い姫にとっては、初めてとなる熱中症だ。

(こんなに苦しいのか…)

 デビフルエンザに罹患して高熱を出した時と、同じくらいかそれ以上か。この場で誰の手助けも得られないという点では今の方が絶望的だ。起き上がり、自力で安全な場所まで戻るなどもう考えられない。そもそも帰り道がわかっていたらここまで長く彷徨っていない。

 アラージフを連れていたなら、衝動的に水魔法(極大)や氷魔法(極大)を使い、魔王城を水没または凍結させていたかもしれない。そんな事態が避けられた一方で、こうして姫が瀕死になっているのは幸か不幸か。

 ああ、暑くて苦しい。いつまでこうしていればいいのか。早く死にたいなどと王族の姫にあるまじき自殺願望を抱く。死と眠りを混同している節のある姫とて、こんな苦しい眠りはいやだ。

 どうにかこうにか、もっと楽な場所は無いかと手を伸ばした姫の手に、何かが触れた。

(ん……?)

 霞みがかる視界に映ったのは、石だった。周囲の黒い溶岩とは全く違う、黄色い石。まるでパイン飴のように明るくきれいな黄色だ。

(何かの…素材アイテムか…)

 明らかに原石といった雰囲気であるし、ここでしか摂れない貴重アイテムか何かだろう。姫は結論付け、ぎゅっとそれを握った。

 ただで死んでたまるか。こうなったらひとつでも収穫を得て帰ってやる。

 [ あか、きいろ、あおハーブ ]。[ 風使いの盾 ]。[ すいじんのぬけがら ]。[ かわらずのサファイア ]。[ クリスタルフィッシュのウロコ ]。エトセトラエトセトラ。

 睡眠に関係ないようでいて、姫に快眠をもたらしてくれたものは多々ある。これもそうに違いないと確信し、姫は瞼を閉じた。



 ――隠しアイテム[ 謎の鉱石(黄色) ]を手に入れた‼――

懸魚

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