【まおすみ】隠しエリア『???』 (2)

2,悪魔教会


「ぬ、ぬうううう……‼」

 姫は唸り声を上げ、大鋏を構える。全身に力を込め、極力息を殺し、何の音も聞き逃さぬように。ネズミ一匹、いや蝿一匹の羽ばたきですら、今なら捉えられる。

 低く吐いた息は白い。ここはいやに寒かった。しかしそれすら構っていられない。むしろ寒さで鋭敏化した肌は、空気の揺らぎを感知するにちょうどいい…そんなことすら考えた。

 少しの身動ぎすら命取りだと思えた。構えたまま、静止する。そしてそのまま、時間が過ぎること、幾ばくか。

 …過ぎる時間が教えてくれるのは、とりあえず、姫を害するものは近くにはいなさそうだという事だった。

 けれど姫は安心できない。体のこわばりを解くこともできない。鋭く光る瞳の星は、眼前の暗闇を射抜く。何せここは魔王城。少しの油断が命取りなのだ。そうなのだ。

 乾いた唇を舐め、ゆっくりと、歩を進めようとして―――

 足元でからりと音がした。

「ぬわああああぁぁぁ‼」

 驚くべき反射神経で足元を穿つ。頑丈な大鋏の切っ先が砕いたものを見てみれば、それは果たして黄色く色褪せたされこうべだった。

 姫はもう一度叫び、闇雲に大鋏を振り回す。その度に刃が壁を砕き、からから、ころりとされこうべが足元に落ちてくる。

 つまり姫は―――とても、怖がっていたのだ。



 なんてことない夜だった。お昼寝をし過ぎて夜に眠れなくなるという、ありがちだが痛恨のミスを犯し、致し方なく散歩に出た。

 常夜の世界である魔界にも、不思議なことに昼夜の区別がある。いつだって変わらない夜に思えても、時計の針が夜だと示せば皆は寝床に入る。その習慣は、人間も魔族も変わらない。

 とはいっても曲がりなりにも城である。城である以上、いついかなる時でも警備はなされるべきである。だから時刻が夜間であっても、廊下へ出ればそれなりに顔見知りと会って談笑する事もできた。だから夜のお散歩でも、幸い退屈せずに済むのが常だった。

 さてその夜、姫は悪魔教会をとことこ歩いていた。

 魔王城の地下に位置していながら、悪魔教会は建物の一部が岸壁から露出している。そのため悪天候でもない限り、いつ来ても教会内には柔らかな月光が零れていた。人間にとっては邪教の場であろうが、姫にとっては静かできれいで、落ち着ける場所のひとつだった。

 ここで一休みして、レオくんの部屋に行こうか。

 椅子に腰かけて、姫がそう考えていた時。

 ふっ……と、頬を冷たい風が撫でた。

「……?」

 ひゅるりと、細く吹き抜けるような風が吹いている。出所を探ってみれば、やがて祭壇の裏に行きついた。悪魔教会のシンボルである、大きな角十字が掲げられた柱の裏。重い幕をめくった裏に、大人一人がやっと通れるほどの小さな戸があった。

 これは気付かなかった。あれだろうか、階段下にあるボイラー室みたいな、そういう空調部屋だろうか。毎年夏に氷魔物たちから抗争が勃発することからしても魔王城の空調がクソなのはお察しだが、もしかしたら一部には設備があるのかもしれない。

 姫はそう期待して、入ってみることにした。

 鍵がかかっているが、問題無い。何故なら姫はマスターキーを持っているのだから。

 戸を粉々に破壊すると、細い階段が続いていた。整然とした教会内から一転して、岩肌が剥き出しになった荒削りな階段だ。奥から、ひゅるひゅると冷たい風が吹いてくる。

 この風を、あの悪魔的夏に使うことができたら、さぞかし快適だろう!

 姫は何かしらの…冷たい風の発生源があることを期待して、ひとり階段を下りた。


 そしてこれだ。

「ぬ…!ぬ…!」

 震える手足を叱咤しつつ、荒い息を吐く。

 一体なんだ、ここは。骸骨だらけじゃないか。ふざけるな。

 階段を下り切って、ランプで照らしてみた途端、夥しい数のされこうべと目が合った姫はもうその時点でだいぶピンチだった。

 向かう所敵なしの姫にも弱点はある。そのうちのひとつが、怪談だ。

 直視するのも恐ろしい骸骨が、岩壁をびっしりと覆いつくしている。一体何人分の骨なのか考えたくもない。ツノがあったり、やけに大柄だったり、牙や尻尾があったりするのを見れば、人間ではなく魔物たちの骨であろうとはわかる。わかるだけで何の解決にもならない。

 …死んでいる、はずだ。ここ悪魔教会にはアンデッド族も多く暮らしているが、この骸骨たちからは何の呼気も生気も感じられない。まさしくただの死体だろう。ただの死体だって普通に怖いが、実害は無い、はずだ。

 姫は自分にそう言い聞かせ、少しずつ後ずさる。何の覚悟も無しにこの空間を進むのはとても無理だ。撤退、撤退だ。

 カランッ

 軽い音がして、あっと思う間もなく全身が暗闇に包まれた。

 床に置いたランプを蹴飛ばしてしまったのだ。その拍子に、火が消えてしまった。

「………‼」

 もはや姫は声もなく、大鋏を握りしめたまま立ち尽くした。

 どうする。階段は変わらず背後にあるだろう。少しずつ後退して戻るか。いやでも、でもだ、この暗闇に何もいないと誰が保証してくれたのだ。こちらが視界を失った今、今度こそ動いた瞬間に恐ろしい何かが襲ってくるかもしれない。

 もし、もしかしたら、今この瞬間にも壁の全ての骸骨が起き上がって、こちらをじっと凝視しているのかもしれない―――その考えに慄然とした。

 もう、がむしゃらに鋏を振り回した方が早いかもしれない。そうしながら後退すれば、近づく者を撃退はできる。ここが地下であり、崩落の危険さえあることも忘れ、姫がぐっと大鋏を構えた時。

 ひらり、と。

 蝶が目の前を舞った。

「蝶……?」

 正しくは、蝶の形をした光というべきか。ひらひらといかにも蝶らしく動くが、ほろほろと光の粒子を落としつつ飛ぶ蝶なんて見たことない。これも、魔界のそういう種類の魔物なのだろうか。

 姫はしばらく呆気に取られて蝶を眺めていたが、やがて拳を握る。にわかに希望が湧いてきた。何はともあれ、生物がいるならここが密閉空間である可能性はぐっと下がる。

 蝶は姫の周りをひらひら飛ぶ。触れようとすれば、すっとかわされる。指先に落ちる光の粒子は、仄かに温かい気がした。蝶はやがて、誘うように洞窟の奥へと飛んでいく。

「あっ…」

 ついさっきまでの、芯まで凍えるような怖気も忘れ、姫は蝶の後を追う。


 蟻の巣のように入り組んだ洞窟を、地下へ地下へと。

 何度階段を下りたかわからない。一度、魔王城が根底から(そのままの意味で)ひっくり返ったことがあったが、あの時見えていた最下部にすら到達しそうな深さだ。

 どこまでいっても骸骨尽くしだし、だんだん空気が薄くなっていくしで、姫は早々に後悔していた。けれどここまできたら引くに引けない。それに今ある光源はもはやあの蝶だけなのだ。帰りも案内してもらわなければここで餓死してしまう。

 やがて、蝶は小さな空間へと姫を導いた。

 姫の牢よりも狭い、石室のような場所。ここに至ると、壁は骸骨から丁寧な装飾に代わり、他よりも随分整った印象を受けた。

「あ…」

 姫の目は、その中央にある大理石の台に向く。

 そこには、大きなガラスの箱が安置されていた。ちょうど、人がひとり入れるくらいの。

 実際、中には人がいた。

「人形?……じゃない」

 恐る恐る近付く。箱の中に横たわるのは、確かに人だった。髪や肌の質感は人形にしては生々しい。さりとて、硬く閉じた瞼、血の気を失った唇は、とても生者とは思えない。

「人間の死体…?」

 多分、人間の姫という立場を鑑みれば、この死体こそ一番に悲鳴を上げるべきものだっただろう。けれど姫に恐怖心は無く、どころか興味深く覗き込みさえする。それは、死体が人形と見紛うくらい、きれいだったからだ。

 本物のミイラ、かもしれない。それにしても綺麗すぎる。干からびている様子は無いし、あるべき腐敗も全く見られない。ガラス箱に封じられているからか、衣服に乱れもない。こうやって、遺体をきれいに保つ技術があるとどこかで聞いた気もする。

 若い女性だ。

 身長はさほど高くなく、もしかしたら未成年かもしれない。経年劣化によりくすんだ髪は、元々多分、白に近い色をしていた。

「あれ…」

 小柄な女性で、髪はストレートのプラチナ。目の色はわからないが、そういった人物に強い既視感がある。

 そう、例を挙げれば、祖母のような。伯母のような。母のような。

 ともすれば、自分のような。

 姫の指先がガラスに触れる。

 すると、静かに浮遊していた蝶がその指に止まった。

 ――待ってた。

 頭に、少女の声が波紋のように響く。

 蝶はするりと姫の肌を滑り、それからすうっと、左手に提げたランプの中へと吸い込まれていった。



 ――隠しアイテム[ いにしえの姫の魂 ]を手に入れた‼――

懸魚

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