【まおすみ】隠しエリア『???』 (3)
3,人質の檻
その日、姫がそこを訪れたのは、ひとえに姫の貪欲な探求心によるものである。
言わずもがな、姫は『睡眠』に対して並々ならぬ情熱を抱いている。かの海の神が坐す奈落の海よりも深く、荒ぶる毒竜が巣食う古の火山のマグマよりも熱く、そして魔族の要塞である魔王城が頂く天空の双角よりも高い――志である。
睡眠に関する事であれば、要である寝具を始めとして、蚊帳、アロマ、照明、子守歌、さらに就寝前のコンディションにも関わる入浴、食事などなど、一から十まで見逃さない。まさに生活の全てを睡眠に賭けているといっても過言ではない。
「気持ち良く眠る」ためなら、死さえ厭わない姿勢はもはや狂気の沙汰だ。あの偉大なる海神をして「激ヤバサイコ姫」と言わしめた人間は史上初だろう。
弾けるポップコーンのように予測できない思考回路は、姫が『姫』という唯一無二の生い立ちを持つが故なのか。そんな破天荒極まりない姫の一挙手一投足が、今やこの魔王城にあらゆる方面で大きな影響を及ぼしているのだが……それはさておき。
古びてあちこちが欠けたレンガの壁。黴臭く、湿って淀んだ空気。頑丈ながらも、表面が錆び付いて濁った赤色が滲む鉄格子。かつんかつんと硬質な石の床は、脱走者の足音も逃さず見張りの耳に届けてくれるだろう。
そう、牢獄である。
(相変わらず、辛気臭い場所だ…)
今は誰もいない檻をくまなく検分しながら、姫は牢を進む。
この牢に来るのは二度目だ。一度目は魔王たちに連れてこられて、投獄された人間の人質の様子を見せられた。意図はよくわからなかったが、その時にこの牢の住環境を知ってひどく吃驚したものだ。
狭苦しい檻。寝床とも呼べないような藁の筵。最低限の灯りしか通さない小さな小さな窓。
最悪だ。こんな所で寝続けたら衰弱してしまう。それが人質の常識であることは置いておいて、手元のリストにある「寝具の質」「通気性」「室温」「明るさ」「環境音」などの項目に辛口の点数をつけていく。
『寝床リスト』だ。
姫がまだ魔王城に来て間もない頃に、快眠のアイデアを探すべく、魔物たちの寝床を評価して回ったあのリスト。魔王に絹を裂くような悲鳴を上げさせ、あくましゅうどうしを気絶させ、魔物たちの何か大切なものを奪いながら、最終的によく冷えた[ けんこうミルク ]という戦果を姫にもたらしたあのリストである。
それが、此度牢獄を訪れた理由だった。
姫は睡眠の探求において何事も妥協しない。あれからもう二年以上が経った。いろいろあった。新顔も増えた。皆の寝床にも変化があるかもしれない。ならば、今一度寝床を検分して回り、古いリストを刷新すべきであると姫は考えた。
そして再び、寝床に侵入された魔物たちから悲鳴が上がることになったのだが、その道中である。
思えばどぐされゾンビの寝床も最悪だった。腐臭がたちこめ、眠るどころか普通に過ごすことすら難しい。論外だ。手を変え品を変え挑んでみたものの、アンデッド族の寝床は総じて臭い。彼らの寝床からは何も得られないのか、と諦めかけていた時分だった。姫がひょんなことからゾンビになったのは。
人間の体では眠れないのならば、人間でなくなればいい。『地獄の釜』でも学んだではないか。何故忘れていたのか。そしてゾンビ姫は、めでたく墓場で安眠することに成功した。
そんな前例もある。
安眠とは全くどんな手段で得られるかわからない。
この『人質の檻』は、リスト作成当時は知らなかった場所だ。見るからに最悪な寝床にも、もしかしたら安眠のヒントがあるかもしれない。リストへの新規追加も兼ねて、こうして訪れたのだ。調査、発見、分析、実践。技術革新の鉄則である。
姫は黙々と検分を続け、牢獄の奥へ奥へと進んでいく。
奥に行くほど、檻はより堅牢に、厳重に、そして古くなっていった。かつてはここに重罪人、あるいは人間の捕虜が押し込められていたのだろう。いずれの牢も放棄されて長いことがわかる。灯りこそついてはいるが、静かだった。
「……ん?」
僅かな違和感に気付けたのも、姫の鋭い観察眼によるものだ。
(ここの壁だけ…レンガの質が違う?)
牢獄の最奥、壁の突き当り。そこだけ材質が違うように思われた。加えて、劣化はしているものの周囲の壁よりも新しく見える。
(増設した…いや、壁を作って、塞いだ?)
もしそうであれば、牢獄はさらに続いていることになる。
逡巡はコンマ一秒にも満たなかった。
姫は大鋏で壁を破壊した。
やはり、牢があった。
広さは他の牢と変わらず、狭苦しい。けれど厳重さは段違いだった。
まず鉄格子からして、今までの倍近い太さがある。目も細かく、姫の腕がやっと通るくらいの幅しかない。これを破壊するのは至難の業だ。その上、幾重にも鎖が巻き付けられ、とどめのように数えきれない程にぶら下がる南京錠。
牢とはいえ、解放するという選択肢を切って捨てたような有様。施錠というよりも封鎖だ。先程破壊した壁といい、何かを封じ込めているような気がしてならない。
ここに満足な寝床など無いだろうと承知の上で、姫は牢を覗いた。
「………!」
白っぽいものが見えた。ひとつひとつが細く、散乱している。けれど形には規則性があり、配置にも一定の法則が見える。そう、生き物の体だ。
白骨死体だ。
「ぬっ……!」
悲鳴を上げかけたが、すんでのところで抑えた。落ち着け、ただの死体だ。それも一体だけ。ただの死体だって普通に怖いが、一体だけならまだ大丈夫だ。仮にこやつが起き上がって襲い掛かってきても、目の前には堅牢な檻があるし、武器もある。
自分を落ち着かせ、よくよく死体を眺める。
人間ではない。体が大き過ぎるし、各部の関節も形がおかしい。何より、この頭蓋骨はヒトではなく、獣だ。細かい区別はつかないが、おそらく…イヌ科とか、そのあたりの。
(モフ犬と似てる…)
察するに魔獣族の骨だろう。頭部が獣というなら、ミノタウロスのエーゴもそうだ。
けれどどちらかといえば、やはりモフ犬ことレッドシベリアン・改に似ている。頭がイヌっぽいし、何よりこの死体にも首輪がついている。改のあれは首輪を模したチョーカーだが、これはまさしく首輪だ。鉄製の、重く、頑丈な首輪。
手足にも鉄製の枷が嵌められ、恐ろしく重そうな鉄球が合計四つ繋がれている。この死体が生前どれだけ怪力だったとしても、これでは歩行すらままならないだろう。
どうしてこの死体だけ、こんなところに打ち捨てられているのか。死んでいるのに牢に入ったまま、壁で封鎖までされて。首を傾げた、その時。
パッ、と、灯りが消えた。
「‼」
振り返る。暗闇だ。壁の向こうにあった廊下の照明が消えたのだ。
何故。魔王城で停電など滅多に起こらない。では老朽化による破損か。あり得る。けれど複数の照明が同時に破損するなんて、そんな偶然があるか?
一瞬でそこまで考えた姫は気付く。
背後に気配アリ。速やかに戦闘態勢を取るべし。
おばけふろしきとの数々の戦いで積んだ経験値が、そう警告していた。
姫は即座に振り向き、大鋏を構えた。
視界は尚もブラックアウト中。けれど何かいるのはわかる。鉄格子を挟んだ、目の前に。
チャリ、と鎖の音がした。ずず、と重い何かを引き摺る音も。やがて目が慣れてきた姫は硬直した。ぼんやりしたシルエットしか判別できない。けれど、これは。
死体だ。
骨だけとなった死体が、目の前に立っている。
虚ろな眼窩が、姫をじっと見下ろしているような気がした。暗闇の中、体は強張って動かない。後ずさりたくてもできない。ただ、全身の怖気に耐えながら、こちらもじっと虚ろな視線を見つめ返すしかなかった。
そうやって無言で対峙した時間がいかほどだったのか、姫にはわからない。
ゆっくりと鉄格子の隙間から伸びてきた指の骨が、そっと姫の腕に触れる。あまりの冷たさにぞっとした。さり、さりと窺うように動く指が恐ろしい。
呼吸も満足にできず、されるがままでいると、やがて腕を取られた。まさか噛みつかれるのか。そう思って無理にでも体を動かそうとした時、小さな金属音がして、掌に何かが置かれた。
そのまま、指はそれを握り込ませてくる。
冷たく細長い、紐状の何か。引っ張ってみると、くっと手ごたえがあり、目の前の死体が揺らいだのが見えた。
間違いなく、首輪に繋がった鎖だった。
――隠しアイテム[ 隷属の証 ]を手に入れた‼――
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