【GWT】【K暁】春の兆し
霊視で動物の声を聞くように、植物の声も聞こえたらなかなか面白いだろう。
KKがそう言った。相変わらず思い出したように風情のあることを漏らす中年である。
「でも、確かにそうかもね」
「だろ?オマエが今むしってるレタスの悲鳴だって聞けるんだぜ」
「なんでそういうこと言うかな」
サラダ食べづらくなるだろとぼやきつつも、このレタスにはおいしい夕食になってもらう予定なのだ、致し方ない。一口大にむしってボウルに放っていく。
現在時刻は午後七時。
渋谷区幽玄坂にあるオカルト結社『ゴーストワイヤー』のアジトは、一日の業務を終えしんと静まり返っている。数少ないメンバーのうち四人は既に帰宅し、残った暁人とKKはそろそろ夕飯の時間だ。怪異調査において実動を担う二人は、帰着時間が不安定なためにアジトでの寝食が少なくない。
暁人が来るまではそれはもう見れたものではなかったキッチンは、今はすっかり整頓され快い生活感に満ちている。このアジトにおいて、キッチンスペースは最早暁人のテリトリーだ。
今夜も暁人は腕まくりして、大の男二人の腹を満たすためにせかせかと動き回っている。それに対してKKはといえば、何をするでもなく入り口に寄りかかっている。毎度毎度KKは、手伝いもしないくせにキッチンに来て、暁人が料理をする様を眺めている。でかい置物だ。
初めのうちは気が散るので追い払っていたが、習性のように見に来るのでもう慣れてしまった。下手に手伝わせてもかえって邪魔だし、じっとしてくれている分にはこのものぐさでだらしない男も害はない。
しばしの沈黙の後、KKが口を開いた。
「…依頼人の家に、梅の花が咲いてた」
手は止めず、暁人はKKの話に耳を傾ける。
「紅白でな。手入れもろくにされてなかったが、それなりに見応えがあった」
「へえ、春だね」
「ああ」
料理を眺めている間、KKは暁人の邪魔にならない程度にぽつぽつと話をする。親しい友人や、家族がするような他愛もない会話だ。饒舌ではなく、報告に近い。こんなことがあった。こういうものを見た。暁人が生返事をしても気にしない。ただ、今日の出来事を訥々と語る。暁人が料理を作っている時はいつもそうだ。
またしばし沈黙がある。気まずさではなく、会話の休憩とでも言うべき間だ。次に口を開いたのは暁人だった。
「それで、植物の声を聞けたら、って思ったの?」
「…ああ」
肯定し、KKは少し決まり悪そうに鼻の下を擦る。子どものような空想を今更ながらに恥ずかしく思ったのかもしれない。少年の心と大人のプライドが同居している中年は難しい。
唐揚げを網に上げながら、暁人も空想する。
霊視をして、春の梅の声が聞けたなら。
「まだ眠い、とか言うかな」
「おいおい、オマエと一緒にしてやるなよ」
暁人がふざけると、KKは笑った。
キッチンで話している時のKKは機嫌が良い。
夕飯は唐揚げとサラダと、ビールを一缶。
心許ない電灯の下で男二人、競い合うように箸を伸ばした。この時間が、暁人は結構好きだった。
春は落ち着かない。
萌芽の季節だ。雨水が過ぎて、次は啓蟄。冬の間眠っていたいろいろのものが、小さな熱を宿して動き始める。静から動への過渡期。日に日に空気の中の気配が増え、ざわめき始める。
KKはアジトのベランダへ出た。夜の外気は未だ冷たい。首を竦め、上着のポケットに手を突っ込む。夕食を終え、暁人は部屋の中でパソコンに向かって作業をしている。
ベランダから眼前に広がるのは、夜も眩いネオン街の輝きだ。ぎらぎらとして人の欲と熱に溢れている。雑踏、下品な笑い声、ゴミの匂い。このうんざりするような景色の中に、春の風情が欠片でも覗いているか。いつ見ても雑然として凡そ変化というものが無い、この街に一片でも春は来ているか。…コンビニの桜スイーツは考えないものとする。大体桜味ってなんなんだ。
煙草を吸おうとポケットに手をやりかけて、やめた。うっすら曇った夜空に、こちらへ飛んでくる小さなものが見えたからだ。軽やかな羽ばたきと共に、それはベランダの手すりへ降り立つ。KKは左手から霊力の滴を落とした。
「おい、もう巣で寝てる時間じゃねぇのか?」
(いつもならね)
愛らしい囀りに乗って、思念が伝わってくる。KKの手ですっぽりと覆えてしまいそうな小鳥。背は黄緑色で、目の周りと腹は白い。メジロだ。
(今日のお礼に来たんだよ。おかげでまたあの梅に留まれるようになったから)
「律儀だな。礼ならもうバアさんからもらったぜ」
KKの言葉に構わず、メジロは差し出すように小さな小さな嘴を上げて見せた。咥えているのは、これまた小さな小さな枝だ。今にも綻びそうな梅の蕾が、ひとつぽつんと乗っている。
今日の依頼人の家に植わっていた梅の一本だ。
地脈の変化のためか穢れに侵され、開花が妨げられていた。KKによって穢れを祓われた梅の木は、他より少し遅れつつも、これからようやく盛りを迎える。
「折ったのか?オレを花盗人にするつもりかよ」
(大丈夫だよ。仲良しなんだ。苦しかったのを助けてもらったから、ひとつあげてもいいって)
「…ほぉ。オマエたちは話せるんだな」
手のひらにぽとりと枝が落される。幸い手に乗ってくるような愛嬌は見せず、メジロはすぐに羽を広げた。
(散るまで大事にしてね)
飛び去っていく影を見送りつつ、KKは大きく息を吐いた。自分より遥かに小さくても、生き物はどうにも苦手だ。
楊枝のように小さな枝と蕾。だが仄かな力を感じる。花弁が全て散り終えるまでの間、確かな御守りとなってくれるだろう。
木霊として形を得るには程遠い。けれどこの世の森羅万象のひとつとして、あの梅にも備わるものがある。日本語では御霊、古代ギリシア語ではプシュケー、ラテン語ではアニマといった言葉で表されるものだ。
それに加えて、この枝には梅の謝意が含まれている。とにかく、縁起は良い。人に福をもたらすものだ。
「………」
KKはころりと手のひらで枝を転がし、これを暁人にやろうと考えた。
近頃、何かと落ち着かないのだ。無性にそわついて、考える時間が増えて、集中しづらい。間違っても更年期だとか、花粉症とかではない。
原因はわかっている。自分でもまだ飲み込みきれてはいないが、わかっている。
花弁を蓄えた小さな蕾が、またころりと転がる。
暁人にこれをやってみれば、少しは落ち着くかもしれない。
背後からはまだタイピング音が聞こえる。ベランダでのやりとりなど知りもせず、真面目に調査報告に専念している年若い相棒。彼への感情を呑み込み受け入れるには、まだKKの胸は硬く、痛みを伴う。
けれど芽生えてしまったのだ。気付いてしまったのだ。
きっと潰した方が痛い。飲み込むよりずっとずっと痛い。だからいつか、遠くないうちに、KKはこの萌芽を受け容れる。今はまだ少し、落ち着かない時期なのだ。
だからこの小さな春の兆しを、小さな幸福を、あいつに渡してみれば。
このざわめきも、いくらか。
春の夜のベランダで、KKはそう想った。
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