【GWT】【K暁】ある夜の話
ある夜の話だ。
伊月暁人は、渋谷区幽玄坂にあるアパートの一室で眠っていた。
そこは言わばバイト先の事務所のようなもので、自宅ではなかった。ひどく疲れていたのだ。
彼がふと覚醒したのは、おそらく午前二時過ぎだった。
仮眠室に人の入ってくる気配がした。暁人はそれが誰だか知っていた。
誰かはしばらく身動きもせず、抑えられた息遣いだけが暁人の耳に届いていた。
暁人は微睡んだままでいた。すると徐に、毛布がゆっくりとめくられて、誰かの体が滑り込んできた。
冷えた空気と、煙草の匂いがした。
その日暁人は、大学で講義を終えた後、アルバイトに勤しんでいた。
アルバイト内容は、早い話がゴーストハンターだ。他人の話なら正気を疑うし実際友人には誰一人話していない。だが暁人は大真面目に、夜ごと人ではない者たちを相手に仕事をしているのだ。
暁人は二十二年間生きてきて、一度も霊感などを覚えたことはなかった。正真正銘のいわゆる『零感』だった。だがある夏の夜、暁人は渋谷スクランブル交差点でバイク事故に遭った。その瞬間から始まった出来事がきっかけで、一般人から霊能力者への階段を、一息に十段は駆け上がることになってしまったのだ。
今の暁人は、視えるし聞こえるし干渉できる。
そして、戦うことができる。
二本揃えた右手の指先に、意識を集中する。すると緑色のきらめきと共に風が集まり、渦巻く球を形作る。暁人が勢いよく腕を振ると、凝縮された風は弾丸となり、スーツ姿の男を撃ち抜いた。
真っ黒な傘を差した男の顔は、まるで紙粘土で作ったのっぺらぼうだ。同じ容貌の男たちが、何体も暁人へ迫ってくる。暁人が手の構えを変えると、今度は青い水の霊力が集まり、刃となって男達を薙ぎ払う。
よろめいたスーツ男達の胴体が、ガラスのように割れる。割れ目から覗くのは真っ赤な臓物――ではなく、熾火のように輝く結晶体、彼らの『コア』だ。
素早く左手を振るう。指先から伸びた光のワイヤーが、スーツ男達のコアに絡みつく。暁人はぐぐぐとワイヤーを繰り、ばきんとコアを引き抜き破壊した。コアを失ったスーツ男達は、すぐさま光の粒子となり消滅する。
「これで一段落…かな」
暁人は深く息を吐いて、額の汗を拭った。
こんな具合だ。
この世には『エーテル』なる霊的物質が存在し、暁人はエーテルに適合した稀有な人間である。
エーテルと、人間の負の感情が凝った『穢れ』が結びつくと、先程のスーツ男達を始めとした『マレビト』という化け物が生まれる。暁人の主な仕事は、エーテルを攻撃手段としてマレビトを退治することだ。
これがなかなか、大変なのだ。
何せマレビトはこちらに明確な敵意を持っている。下手を打てばもちろん怪我をするし、マレビトの種類によっては少しの油断が即座に死につながる。正直、かなり、いくらもらっても割に合わない程度には、危険な仕事だ。
それでも、二十二歳という若々しい命を危ぶませてまで暁人がこの仕事をしているのは、契機となった夏の夜に芯まで身を浸してしまったからだ。
自分が想像もしていなかった世界があったこと。
自分の知らない姿がこの街にあって、知らない危険が潜んでいたこと。
そして、人知れず戦っていた人達がいたこと。
その全てを知ってしまった。だから全く、これまで通りにはできなくなった。バイク事故から始まった多くの出来事は殆どが偶然で、成り行きで、暁人は巻き込まれただけの一般人だった。だが巻き込まれてしまったから、もう部外者ではいられなくなった。
しかし確固たる当事者意識があったとしても、過酷な仕事であることには変わりない。何せ彼奴らは尽きることがない。現れては退治して、現れては退治して、その度に命の危険が伴う。どれだけ頑張ってもろくすっぽ感謝されることもない。
相当な正義感や使命感が無ければ、こんな仕事一人ではできない。
至って普通の大学生である暁人がマレビト退治を続けられているのは、何を隠そう一人ではないからだ。
「暁人!」
不意に頭上から声が降ってきて、隣に誰かが着地した。エーテル適合者の能力である『グライド』を使って、ビルから飛び降りてきたのだ。人目の無い裏路地でなければとんだ騒ぎになっている。
「KK」
暁人の隣に立ち、ニッと笑ったのは中年の男だ。名前は『KK』。暁人と同じ――いや、暁人がエーテルに適応したきっかけといえる、適合者の人間だ。
件の夜、彼には散々な目に合わされた。具体的には体を乗っ取られかけたり首を絞められたりだ。本当に酷い。だがいくつも、いくつもの言葉を交わして、互いの人となりを知って、暁人は彼を信頼するに至り、彼もまた暁人を『相棒』と呼ぶまでになった。
そうしてあの夜が過ぎ去った今も、相棒として渋谷の夜を駆けている。
「こっちも片付いたみたいだな」
「うん。そっちも問題無し?」
「ああ。欠伸が出るくらいだったぜ」
くあ、と大口を開けて欠伸をして見せる。KKは暁人の先達で、エーテルの扱いも、マレビトとの戦い方も数段上にいる。警視庁捜査第一課という経歴も加わって、暁人はまだまだ彼には敵わない。勝てるのは若さ頼みの体力と、健康故の肺活量と、弓の射的精度くらいか。
「今夜はこれで終わりかな」
「いや、凛子の話だと、こんなもんじゃあない筈だが…」
暗い夜の路地に、しゃきん、と刃物が擦れる音が響く。
二人は振り返り、身構える。
「…お出ましだぜ」
「…多いね」
暗闇から現れたのは、白い帽子に白いコートを纏った長身の女だ。その右手には、見るだけでぞっとするような大鋏が握られている。強力なマレビトの一体である『口裂』だ。さらに彼女に追従するように、ぞろぞろと女性型のマレビトが暗闇から溢れ出る。
「ちまちま相手にしてたんじゃ、囲まれてリンチだな」
「その後、体を切り刻まれて不審死って?嫌だよそんなの」
「ああ、オレもまっぴらだ」
暁人はKKと視線を交わす。考えていることは同じだった。
『絶対共鳴』だ。
二人は同時に印を結ぶ。魂がシンクロして、波長がぴたりと重なる。その瞬間に互いのエーテルが高く共鳴し、衝撃波となりマレビトたちを吹き飛ばす。
「ぶっ飛ばされてえの誰だぁ!」
KKが意気揚々と吠える。彼の手から放たれた火のエーテルは、爆炎となってマレビトの体を砕く。暁人の風も鋭さを増し、鋏を振り回す口裂の体を重く撃ち抜いていく。
不可思議な夏の夜の最中、二人は魂で深くつながり合った。人としての相互理解もすっ飛ばして、根源たる魂に触れ合ったのだ。『絶対共鳴』は、互いの魂を知る暁人とKKだけが使える、唯一無二の大技だ。
気付けば敵は口裂のみとなり、彼女もコアを露出させながらよろめいたところを、あっけなく暁人のワイヤーでとどめを刺された。
そうして魂の共鳴が止むと、どっと体が疲れがのしかかる。普段以上の力が出せる代わりに、多少の負荷には目を瞑らなければならない。息を切らす暁人の肩を、KKがぽんぽんと叩く。
「お疲れさんだな。これでもう終わりだろ」
「そう願うよ…」
息を整えて顔を上げるが、どうにも重い怠さが引かない。柳眉を潜める暁人に、KKは労わるように言った。
「疲れが溜まってるんじゃないか。今日はアジトに泊まれよ」
「いや、そんなに疲れてるつもりは…ないんだけどな」
「いくら若いっつっても、無茶は程々にしないと後に響くぞ」
経験則からくるであろうKKの言葉に、暁人は観念して溜息した。ここのところ、慢性的に疲労感があったのは事実だ。昼間は大学で講義を受け、夜は化け物との死闘に明け暮れる日々。疲れない筈がない。
「凛子にも言っておいてやるから、しばらくゆっくり休め」
「……KKだって人のこと言えないんじゃないの?」
「伊達に数十年生きてねぇよ。体調管理くらいできる」
けろりと言われてしまうのがなんとも悔しい。酒好き煙草好きの生活習慣病予備軍のくせに。
だがKKは、暁人がこの世界を知るよりずっと前から戦ってきたのだ。仲間はいるが、エーテル適合者として満足に戦えるのは彼だけだったという。
そう、一人で戦い続けてきたのが、この男だ。
「…わかった。じゃあ、仮眠室借りてもいい?」
「当たり前だろ。あんな機械だらけの部屋で寝たらレコーダーの悪夢を見るぞ」
「なにそれ。でも、予備の布団とかあるの?」
「………マットレス、がひとつ、あったような…」
「その記憶が確かなことを祈るよ」
二人が所属するオカルト結社『ゴーストワイヤー』のアジトは、住居としての快適さに乏しい。KKは頻繁に寝泊まりしているようだが、突然の来客に対応できる用意は無い。最悪雑魚寝かソファでもいいか、と暁人は思い直した。とにかく今は、体が休息を欲している。
二人が幽玄坂のアジトへ足を向けたところで、不意にKKのスマホが着信を告げた。
相手を確認したKKの顔が、すっと引き締まる。
「…悪い。先に帰っててくれ」
そう言うなり、早足でその場を離れ、物陰で話し込み始める。暁人は素直に頷いて、アジトへの帰路についた。
きっと奥さんだろうと思われた。
実際のところ、KKについては知らないことばかりなのだ。
出会い方も、親しくなるまでの過程も、現在の間柄も、総じて他に類を見ない特殊な関係だ。おかげで強い絆を繋ぐことができた一方、普通に仲良くなっていれば知り得たであろうことを殆ど知らないまま、今に至っている。
だがあの夜が無ければ、二人が出会うことは無かった。元々何の縁も無い赤の他人で、年齢も倍近く離れている。何もかもがおかしくなった夏の夜があったからこそ二人は出会い、いろんなものを跳び越えて魂を通じ合わせることができたのだ。
こうして個々の人間として隣に立っている今も、すっ飛ばした部分はあまり埋まっていない。積極的に埋めようとも思わない。殆ど互いを知らないまっさらな状態で、魂に触れ、そして心を知った。そんな特殊な距離感が初めに形成されたからか、互いを知らないままでも絆は途切れず、故にあえては知ろうとしないスタンスに落ち着いている。
さらに言うと、わからないことが多いのはKKの方なのだ。暁人はと言えば、心の奥深くの情けないところまで、KKに残らず知られてしまっている。不公平だ。だがこればっかりは、状況が状況だったので仕方ないことである。
アジトに戻った暁人は、仲間であり上司にあたる八雲凛子に報告を済ませ、一泊の許可をもらった。
「あの男の部屋で寝るの?寝心地は保証できないわよ」
「大丈夫ですよ。KKの生活態度はもうよく知ってますから」
幸い、マットレスは無事に見つかった。
夜が深まり、アジトの皆が各々帰宅しても、まだKKは戻らなかった。よほど込み入った話をしているのか、なにか急な用事ができたのか。前職に関わる話なら暁人はお呼びではないし、家族のことなら尚更首をつっこむべきではない。
『先に寝てるから』
一言だけメッセージを送り、暁人は毛布を被って就寝した。
蓄積された疲労はすぐに眠気を連れてきて、何を考える間もなく暁人は安らかな眠りに落ちた。
それから、数時間は過ぎただろう。
深い眠りに沈んでいた暁人の意識を引き上げたのは、人の入ってきた気配だった。
KK以外の誰である筈もない。眠る暁人を気遣ってか、足音と呼吸音も小さく抑えていた。うとうとと微睡む頭で、ああ、戻ったんだとだけ思った。
彼もきっと疲れただろうから、すぐに隣にあるベッドに横になるだろう。
しかし、そんな暁人の考えとは裏腹に、KKの気配はしばらくじっと佇んでいた。微かな呼吸音だけが、仮眠室に流れる。
――何をしているんだろう?
疑問が浮かぶが、体はまだ重く、身を起こして確かめるまではいかない。
なんだかじっと、KKがこちらを見下ろしている気がした。彼は何を考えているんだろうか。ぽつりぽつりと思考が浮かんでは流れる。暁人の意識は、眠りの浅瀬に浸ったままだ。
やがて彼は動いた。ベッドに行くのではなく、その場で膝をつき、暁人の被る毛布をそっとめくった。冷えた空気が流れ込んできて、小さく肩を縮こまらせる。
――なんでこっちに?
僅かに頭が冴える。だが間を置かずにKKの体が滑り込んできて、ゆったり考える間もなく状況が変わる。寄せられた体から、ひんやりした外気と、煙草の匂いが感ぜられた。
「―――――KK?」
暁人はうつらうつらと呼びかける。同じ毛布の中に納まった体が、一瞬だけ静かになって、それから返事がある。
「…暁人」
穏やかな声だった。KKの声に、暁人は反射的に安心を覚える。
彼はもぞもぞと動いて、落ち着く場所を探しているらしかった。横臥する暁人に向き合うように、似た体格のKKの体がぴたりと寄せられ、腕が暁人の背に回る。額に何かが触れた。
暁人はゆっくり瞼を開く。一瞬、目の前に何があるかもわからなかった。額にこすりつけられているのは、同じくKKの額だった。そう気付くと、睫毛が触れ合いそうなくらいの距離にある彼の目と視線が重なる。暗闇の中でも、彼がいたずらっぽく目を細めるのがわかった。
いま暁人は、KKに抱き寄せられている形だ。
そのまましばし、見つめ合う。じっとKKの真っ黒な目を覗き込んでいると、不思議と心が落ち着いた。彼も同じなのか、視線を外そうとはしなかった。
KKの顔が動いて、じゃれ合うように鼻をこすりつけられる。甘える猫のようだと思いながら、暁人はそれを受け入れる。相手の呼気が唇に触れて、一層煙草の匂いが濃くなった。
「暁人」
またKKが囁いた。子どもの内緒話のように密やかだった。
そして、なんでもないことのように、そっと唇が重ねられた。
「―――」
暁人は夢うつつで、その感触を受け止めた。
絹を裂くように叫んで突き飛ばしてもよかったのだろうが、そんなつもりはひとつも湧かなかった。へえ、KKとキスするとこんな感じなんだ、といっそ他人事のようにすら思った。
様子を窺うような時間を挟んで、再び唇は重ねられる。二度、三度、四度……。
表出はしないものの、疑問は泡のように揺蕩い続ける。
奥さんじゃないのに、なんでキスするんだろう。
暁人はKKに妻子がいることを知っている。家庭が上手くいかなかったことも知っている。だが離縁しているのか、決定的なことまでは知らない。なんとなく、まだ夫婦ではいるんじゃないかと暁人は思っていて、だから先程のKKの電話も家族の話ではないかと予想したのだ。
奥さんがいるなら、他人とキスをするのは駄目なことではないか。いや、もしや既に別れているからキスをしているのか。暁人の知る情報では判断できない。そもそも何故、いま、こんなことをしているのか。
暁人の知るKKという男は、斜に構えているようでいて、愚直なまでの正義漢だ。迷うということをほとんどせず、目的や信念から目を反らさない。それでいて、人間らしい浅ましさもある。古臭くて、泥臭くて、横暴で、それでも最後には格好いいと思わされてしまった。
あの夏の一夜で、暁人はそんなKKを知った。
いま目の前で唇を寄せてくるKKは、未だ知らない彼の姿だった。
ゆったりと、呼吸よりも緩やかに、柔らかく唇を重ねる。それを何度も、何度も。あまりに優しくて、意識半ばに浸っていた眠気が深まるのを感じる。
頑固一徹なKKが、こんな風に他人に触れられるとは知らなかった。
KKと同じ部屋で眠るのは、これが初めてだ。もしもっと早くに同じ機会があったら、今と同じことになったのだろうか。アジトで休むことを提案した時、彼は既にこんなつもりでいたのだろうか。
暁人にとってKKは、相棒で、理解者で、先達で、師のような存在だ。
KKにとって暁人は、どんな存在となっているのだろうか。
「―――KK…」
確かめるように名前を呼ぶと、「ん」と短く返事がある。そしてまた鼻を擦りつけられる。
…いかんせん、頭が働いていない。初めての時間と、触れ合いと、KKの姿に、上手く反応ができない。できるのはされるがまま、受け入れることだけだ。KKは構わずに、キスを再開させる。
静かな真夜中、唇に何度も優しいキスを受けながら、暁人は眠りに沈んだ。
そんな夜だった。
朝になれば全くあれは夢だったかのように、明るい仮眠室で、KKは自分のベッドの上でがーがーいびきをかいていた。うるさくて敵わないと、目覚めた暁人は仮眠室を飛び出す。
アジトの中は昨日と同じまま。何が変わっているということもない。
重苦しい疲労は、すっかり消え去っていた。
ごみごみしたアジトで、暁人はひとまず朝の支度をする。顔を洗い服を着替え、朝食を作る。作りながら、昨夜のことを少し考える。
夢ではなかったと思うが、夢のようにあやふやでおぼろげな時間だった。何分初めてのことだったから、解釈に悩む。だが結局は、KKが起きてこないことには何もわからないのだ。
暁人は気を取り直して、スタンダードなモーニングプレートを完成させる。ベーコン目玉焼きブロッコリー、ご飯かパンかはお好みで。汁物もインスタントでご自由に、スタイルだ。
一日の始まりを迎えた腹がきゅるきゅると鳴る。別に相棒の目覚めを待つ必要もあるまい、さっさと食べてしまおうか…と思ったところで、タイミング悪くKKがのそのそ起きてきた。
「おはよう」
「おー…おはようさん」
おっさん臭い下着姿で欠伸などしている。親しい間柄とはいえそのだらしなさはどうかと思う。
「早く顔洗ってきなよ。朝ごはんできてるから」
「おぉ、ありがてぇ」
「飲み物は?」
「んん、コーヒーにしてくれ」
「すきっ腹にコーヒーは悪いからお茶にするね」
「朝から元気に生意気だなぁお暁人くんよ」
のそのそ洗面所に入っていくのを見届けて、お茶を沸かす。
やはり昨夜のことは夢であったらしい。あるいは夢になったと言うべきか。実際、KKが昨夜をどう認識しているのかはわからないが、何もなかったようにふるまうのならその通りなのだ。
暁人自身としては、特に思うこともなかった。珍しいところを見たなぁ、とその程度だ。疲れた時に誰かれ構わずキスをしたくなる悪癖だったら早急に改善を勧めるところだが、あれで暁人の倍近く、それも警察官として生きてきているのだ。今までにトラブルを起こしていないのなら強いて言うこともない。
朝食の準備を終えると、さっぱりした顔のKKが戻ってくる。適当な服も身に付けて、さっきよりは見られる姿だ。
「スープは好きなの入れてね。お湯は沸かしてあるから」
「ああ。悪いな」
ソファに腰かけてテレビをつけ始めたKKに、湯呑を差し出す。
KKの手が伸ばされる。湯呑を受け取る筈の彼の手は…湯呑を通り越して、暁人の手をするりと撫でた。
「っ、?」
一瞬驚いた暁人をよそに、KKは湯呑を掴んで一口すすった。テレビを眺める彼の横顔をぽかんと見つめてから、暁人はキッチンに戻りスープを用意し、首を傾げた。
朝食は特に何事もなく、ニュースをお供に済ませた。
今日は、暁人は休養も兼ねて一日オフだ。自宅で一日休めば、明日はすっかり元通りになるだろう。対するKKは普段通り仕事である。朝から外回りに出かけるようで、お決まりのスーツに着替え、一足早く身支度を整えている。
「今日はちゃんと休めよ。出かけたりしてまた疲れを溜めたら本末転倒だからな」
「わかってるよ。KKこそ、無茶はしない方がいい歳だろ」
「舐めんな、ガキ」
洗濯カゴを抱えながら、廊下でKKとすれ違う。短い会話を交わして、洗濯物を干すためにベランダに足を向けた。そこで、体にKKの片腕が回っていることに気付いた。
こめかみに柔らかく何かが押し付けられ、すぐに離れる。ぽかんとして振り返ると、KKはさっさと靴をつっかけているところだった。こちらを見ることなく、ひらひらと後ろ手に手を振って玄関を出て行く。
「………」
夢のつもりじゃあ、なかったのか?
暁人はしばらく、そこで戸惑ったままでいた。
触れられた手と、口付けられたこめかみから、昨夜の煙草の匂いが香るような気がした。
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