【まおすみ】隠しエリア『???』 (4)

4,忘れられた深海《ディープキングダム》



 魔王城。

 そこは今や姫にとって、修学旅行先の旅館、夏休みに訪れた親戚の家、家族で楽しむ遊戯施設……そういった存在である。

 課せられる公務も無い、威厳をもって接すべき民もいない。その代わり気心の知れた友達や、心配しつつ見守ってくれる父兄がいる。広くて散歩し甲斐があるし、さすが魔界の城だけあって、部屋を移動するごとに景色が様変わりする。季節が変わればいろんなイベントを楽しめる。食べ物だって悪くない。

 つまり、安心できて、楽しい、まさに住居とアミューズメントパークを融合させたような場所なのである。それが、姫や魔物達の関係に今後どう働くのかはさておき。

 姫が今回あるミスを犯したのは、その安心感が原因と言える。油断を招いたのだ。

 これまで、相棒の大鋏をはじめとして様々なアイテムや発想で魔王城を攻略してきた姫だから、仕方ない部分もあるのかもしれない。けれど油断は油断である。

 姫はここが、あくまでも危険な城であることを忘れていたのだ。



「あっ」

「姫――――ッ‼」

 仲良しのゴブゴブことグロッシュラーたちの悲鳴が響く。彼らが伸ばした手は紙一重のところで姫に届かず。

 姫は、ポチャッと水路に落ちた。

「ひ、姫――‼」

「すぐ引き上げろ!溺れるぞ!」

「なんであんなところで寝てるんだ!」

「姫だからな」

 慌てふためく彼らが覗き込むのは、魔王城内の水路のひとつだ。

 城の幹部たる十傑衆に海神ポセイドンを擁し、水魔物も多く勤める魔王城には、マグマと並んで水が豊富に存在する。

 生活用水や城の機構を動かすエネルギーの他、城自体がダンジョンであるが故のトラップや堀にも水が欠かせない。城には水路やパイプ、ポンプ、魔術的な水利装置が張り巡らされ、絶えず各地に水を循環させている。

 今日、姫が寝床として目をつけた場所は、そんな水路の真上にあった。

 クモの巣だ。

 魔界に棲息するクモは、人間界のものとは比べ物にならないほど巨大な種類も多い。彼らが吐く糸もまた、普通の紐と同等の太さと強度を誇る。それに目をつけた姫は、巣を丸ごとハンモック代わりにしようと考えた。戸惑うクモ達を容赦なく押しのけ、幾重にも重なった巣の上に寝転び、なかなか悪くないと感嘆した。

 クモの巣だらけの天井の一角に姫を見つけた仲良し四人組はそれはそれはたまげた。危ない降りろどうやって上ったんだと叫んでもどこ吹く風。いくら魔界のクモの糸が丈夫であっても、人間の体重を支えるには細すぎる。

 案の定―――巣は壊れ、姫の体は中空に投げ出され、真下の水路に落ちたという次第である。

「泳げないのに!なんであんなとこに!」

「姫だからな」

「姫ェ…!」

 「落ちたらどうしよう」なんて考えを姫に期待しない方がいい。その事実を魔物たちは充分学んでいる。そんな凡庸な考えが姫にあったらこれまで何度も死んでいない。

 しかも、よりにもよってここは城内の分水部屋だった。円筒形をした部屋の中央に、城外の貯水池から水を湧き出させ、壁に開かれた無数の水門から城内の各部へと水を供給していく。いわば魔王城の水利の心臓部、要とも言える施設である。

 轟々と湧き出す水の量は計り知れない。姫が落ちたのも主要な水路のひとつだ。グロッシュラーたちが見下ろす先には、凄まじい勢いで飛沫を上げる水流があった。

「なぁ、これ…まずいんじゃないか?」

「ああ…」

 四人の表情が真剣に焦り始める。

 極論を言えば、死んでもなんとかなるのだ。墓さえ回収できれば。けれど、その墓さえ見つからないのは本当にまずい。以前氷エリアで姫が遭難した時はハーピィが連れ帰ってきてくれたが、今回は違う。

 姫の体は、とうに落下地点には無いだろう。これだけの水量なのだ。さらに、水路はここから数十数百と枝分かれしていく。どこに流れ着くのか全くわからない。四人は顔を見合わせた後、すぐに頷く。

 そして城中にこの一大事を知らせるため、猛スピードでそれぞれの上司に連絡を取り始めた。



(ふわふわ…)

 ぼんやり姫は思う。ふわふわしている。体が。揺れているのだ。

 感覚としては、『地獄の釜』でゴースト魔物達の技を受け、状態異常 ゆうれい になった時に近い。ふわふわ浮いているようで、体の重さも忘れ、波の揺らぎに身を任せるような。

(……波?)

 はて、と目を開き、姫は愕然とした。

(……水中‼)

 タイプ相性最悪のダンジョンである。

 目の前を魚の群れが通る。上を向けば、銀色に輝く波紋がはるか頭上に見える。下を向けば………向いたことを姫は後悔した。深い深い青。そこが見えない。足のつかないプールの比ではない。夢などではなく、姫は今、茫洋とした水の中にいるのだ。

「ぬ…ぬ……!」

 体全てを水に囲まれ、姫はうろたえた。

 しかし何故、水中にいながら呼吸ができているのか。後ろ手についた掌への感触で、姫は悟る。

(クモの巣か…!)

 クモの中には、完全に水中で生活するミズグモという種がいる。彼らは水中に膜状の巣を作り、そこに空気を蓄える。

 おそらく、魔王城の水路内に棲息するミズグモがおり、姫は運よくその巣のひとつに引っかかった。そして水泡に入った状態で流されたのだろう。おかげで溺死は免れた。

 しかし幸運はそれだけだ。姫をすっぽり包む大きさとはいえ、巣が少しでも破れたら一巻の終わり。水泡は瓦解し、暗い水中に姫を残して消えるだろう。

 姫にできることといえば、動きを最小限にとどめて巣への衝撃を減らすことだけ。落下直前まで眠っていたので、相棒の大鋏も魔導書も無い。身一つだ。

 絶体絶命の状況で、姫の頭に浮かんだのは、十傑衆がひとり海神ポセイドンだった。

「ら、裸族…」

 水中は彼奴のフィールドだ。注射から逃げる時、彼のサポートで水路を渡ったこともある。城内プールで泳ぎを教わったこともある。ここが一体どこなのかすらわからないが、呼べば助けに来てくれるかもしれない。

 姫は姫ながら、大声で助けを呼んだことは一度もない。元来無口であったし、危険は事前に排除されていた。魔王城に来てからは、自分で道を切り開いてきたし、なんだかんだと皆が助けてくれていた。

 けれど今こそ、囚われの姫らしく、絶体絶命の遭難者らしく、叫ぶべきだ。

 口を開いた、その時。

「…っ、……?……⁇」

 ぐらりと体が揺れ、姫はぽてりと泡の中に倒れた。

(なんだ……泡が、動いている…?)

 ただ波にたゆたうだけだった水泡が、すっと水の中を移動し始めたのだ。まるで意思をもった生き物か、目的地を設定された乗り物のように、迷いなくどこかへ進んでいく。より深く深くへと沈んでいくのに気付いて、姫は卒倒しそうになった。なんとか気を強く持ち、運ばれるがまま水中を往く。

 今はじっとして、助けを待つしかない。

 やがて、遥か水底に見えてきたのは、巨大な谷だった。

(海溝…)

 目にする魚からもなんとなく察しがついていたが、やはりここは海中らしい。人間界の常識が通じる範囲かはわからないが。

 水泡は吸い込まれるように海溝へ沈み、やがて崖にぽかりと空いた洞窟の中へと入っていった。



 洞窟の先にあったのは、広い広い空間だった。

 天井はドーム状になっており、頂点部分だけ孔が開いて、そこから細く光が差している。魔王城の城下町がすっぽり入りそうな海底洞窟だ。

 そしてそこに、空間を埋めるように横たわる生き物がいた。

「…ドラゴン……?」

 頭はワニに似て、鹿に似た形のツノがある。ナマズのような長いヒゲがあり、体は蛇のように長く、魚と同じ鱗がある。城にいるドラゴン族とはあまり似ていないが、こういうドラゴンを姫は見たことがある。ドラゴン族の「お嬢」であるゼツラン、彼女の使い魔だ。

 違うのは、目の前のドラゴンには毛やたてがみが無く、手足も無く体はつるりとしていて、ヒレがある点だ。ゼツランの使い魔よりも、水中生活に適応した形に見える。

 その長大な体は洞窟いっぱいにとぐろを巻き、頭は静かに砂の上に置かれていた。何事もなければ、眠っているのかと思っただろう。

 けれど、降り注ぐ細い光に弱く照らされ、露わになったドラゴンの体は、腐敗を始めていた。

「死んでる……」

 びっしりと群がっているのは、グソクムシなどの甲殻類と肉食の魚だ。肉をむしり取っては食んでいる。巨大な体のあちこちから骨が見えており、食い尽されるのも時間の問題だろう。これがもし浜辺にあったなら、きっと酷い腐敗臭で息もできない。

「………」

 姫はしばし、浮いた水泡の中から、ドラゴンの遺骸を眺めていた。

 ふと、姫の指が動く。指先が柔くクモの巣の膜を押すと、水泡は押された通りに動いた。姫は自分の意志で水泡を動かし、遺骸に近づく。

 ドラゴンの頭部は、もう半分近くが骨となっていた。柔らかい目玉は真っ先に食われたらしい。虚ろな眼窩を覗くと、内側からグソクムシがひょっと顔を覗かせた。さすがの姫も鳥肌が立った。

 群がる捕食者たちを避け、姫が手を伸ばしたのは、ツノだ。

 そのドラゴンは美しいツノを持っていた。まるで宝石でできているかのよう。透き通り、仄かな青色を帯びている。あまりに透明度が高いので、光が反射しなければツノがあると気付けなかったくらいだ。

 ちらちらと光るそのツノに、触れる。

 すると、ぽろりと。

 呆気ないほど脆く、真ん中からツノは折れ、そして姫の手に納まった。



 ――隠しアイテム[ 朽ちた水神のツノ ]を手に入れた‼――



懸魚

懸魚

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